『田園の詩』NO.119 「喜怒哀楽」 (2000.1010)


 9月24日は、前日の雨で順延となった中学校の体育祭がありました。9時30分から始まる
開会式前は、いつもだったら軽快な音楽が流されるところですが、この日はシドニー・オリ
ンピックの女子マラソンのラジオ中継が大きな声で放送されていました。 

 開会式の直前に高橋尚子選手の金メダルが決まり、山里の小さな中学校のグラウンド
にも大きな歓声と拍手が沸き起こりました。

 各競技で本命と目された選手が敗れることも数多くあるのに、普段の自分の力を出し
切れば必ず優勝するという計算上の確信を、確実に実行した精神力と身体の強さには
何とも言えぬ清々しさを感じました。

 走る前から結果は分かっていた。当たり前のことを当たり前に成し遂げた。そんな風
にも思える彼女の姿に、他の選手の金メダルとは一種違った感動を覚えました。「とても
楽しい42`でした」とのコメントが、いまだに心から離れません。

 さて、金メダルの興奮も醒めやらぬ中、体育祭が始まりました。プログラムも進み、女子
の100メートル走の時のことです。1年生から順番に3人一組で走ります。3年生の一組
目に知人の娘さんが出場しました。彼女は背も高くスポーツも得意です。

 案の定、彼女はスタートからトップに出ました。ところが、ゴール寸前、5メートルくら
い、そのまま軽く流しても大丈夫なところで転んだのです。立ち上がり再び走ろうとした時
にはすでに2人に追い越されていました。

 ちょうどゴールそばの本部席で観戦していた私は、目の前で起きた出来事に思わず息
を呑み込みました。そっと彼女に目をやると、3番が並ぶ列の中でしゃがみ込んで泣いて
いました。

 中学校最後の体育祭。突然の躓き。最下位。彼女にとって、不可解で、かつ、苦い思い
出として生涯心に残ることでしょう。


     
    父が教鞭を執り、私や子供達が通った中学校も、生徒数の減少で統合されて、
    平成21年3月で廃校になりました。校舎や運動場は、まだそのままですが、いずれ
    なくなることを見越して、記念の石碑がすでに建っていました。ここに立って、
    やはり「哀」を感じました。(09.12.20写)


 スポーツに限らず、人生何が起きるか分かりません。努力が当たり前の如く報われる
こともあるし、そうはならぬ場合もある。

 喜怒哀楽の「哀」とは、このあたりの感情をいうのかもしれません。
                          (住職・筆工)

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